過 去 の 日 記   2004年4・5・6月


6月29日(火)
自民党第7選挙区支部の会合に参加いたしました。
自民党比例代表候補の紹介がありましたが、かのノルディックスキー複合金メダリスト荻原健司さんが立候補している事を、果たしてどれだけの人が知っているのでしょうか? 彼の不断の努力や、それに基づく実績を知っているだけに、彼が「立候補している」という事実だけでも周知できれば、若い人も投票に行くのではないかと思います。



6月28日(月)
当選1期目の新人議員の会「七福会」の勉強会に参加しました。
新人議員として、まず市の機構から勉強するという主旨で、各部の部課長よりレクチャーを受けることとなりました。まずは、建設部長より建設部の機構・業務分掌について説明を受け、理解を深めることができました。



6月27日(日)
ネットワーク地球村のミーティングに参加させていただきました。
子供たちと竹で「マイ箸」を作りましたが、これにより割り箸の消費量を少しでも減らせることができれば幸いです。何しろ日本人は1年間で258億膳の割り箸を使い、そのほとんどが輸入木材なのです。皆さんもぜひ「マイ箸」を持ち歩き、地球の砂漠化・温暖化に歯止めをかけましょう。
また、箸はナイフを使って作りましたが、長崎の事件があったとは言え、刃物を子供から遠ざけてはいけません。必ず「カッターナイフを持たせるな」といった意見が出ますが、まったく本末転倒で、刃物の危なさを知らないからこそ、あのような事件が発生するのだと思います。



6月26日(土)
多治米学区の役員会に参加させていただきました。
地元の集いということで、顔なじみの方も多く、改めて選挙のお礼を申し上げたり、母の件の悔やみをお受けしたり、「息子が同級生なのを憶えとる?」という話で盛り上がったり、楽しい会合でした。1日も早く地元の皆様のお役に立てるように努力しなければと、改めて感じる機会となりました。



6月25日(金)
盈進高校の同窓会「日東会」に出席させていただきました。
私は盈進卒業生ではありませんが、日東会の「日東」は鞆の対潮楼の「日東第一景勝」にちなんだ名前で、鞆を愛する人達の集まりでもあります。鞆に愛着のある市会議員という名目で特別に参加させていただきました。校歌あり応援歌ありの愛校心溢れる会で、歴史と伝統ある盈進高校らしい会だと感じました。



6月24日(木)
今日は6月議会最終日です。
常任委員会にて審議された議案、請願の質疑・討論・表決が行なわれました。共産党議員が紹介議員となった4件の請願のうち、「消費税増税反対について」は継続審議となりましたが、「国保税引下げと減免制度拡充について」「乳幼児医療費就学前まで無料化について」「高齢者医療費助成制度廃止の取りやめについて」の3件はいずれも不採択となりました。「請願」の仕方については、市のホームページに下記により記載してあります。
市民だれでもが,市政に対する要望・意見を,請願書や陳情書として市議会に提出することができます。請願は市議会議員の紹介を必要としますが,陳情書は必要ありません。提出の方法は,趣旨を具体的に記載し,提出年月日,及び請願者(陳情者)の住所を記載し,署名または記名押印の上(ただし,代表者は押印をしてください。)議長あてに提出してください。
詳しくは,議会事務所(TEL.084−928−1136)へお問い合わせください。

初議会の感想としては、非常に儀式的な雰囲気を感じたのと、代表質問の論戦の内容が薄かったことが残念に思いました。例えば、私の考えた質問とその答弁について、少々長いですが全文を掲載してみます。

<質問>市民病院の看護師採用と養成について
市民病院の使命の一つである、市民が安心して高度先進医療を受けられる環境整備は市民のみならず、圏域内の医療機関のからも益々期待されています。
平成17年4月の救命救急センター開設に向けての対応や増床に伴い、看護師の採用をH15年度に38名、16年度には70名程度を予定されています。全国的な傾向として看護師不足が指摘されていますが、H16年度以降の採用予定はどのようになるのか、また、圏域内の充足率はどのようにみているのかお示しください。
現在、市内の看護学校は福山医療センター附属看護学校と福山市医師会看護専門学校の2校で120名の養成を行なっておられます。しかし、平成20年には福山医療センター附属看護学校が閉校される予定と聞いております。そうなると益々人材不足は切実なものとなり、市民病院及び、圏域内の医療機関への影響も大きいと思われます。厚生労働省が准看護師の養成を見直すとの方針を受け、市立高校の看護科を廃止した経緯はありますが、全国的な看護師不足を考慮する中で、市立短大や平成大学・福山大学での正看護師養成を模索する考えはありませんか。

<答弁>
看護師の採用については、この度の70名の採用により、必要数はほぼ確保されるものと考えており、来年度以降の採用については、退職者の補充が主になると考えています。圏域内の看護師の充足率については、H15年度の医療法の規定に基づく立入検査の結果では、全医療機関において充足している状況でありました。
また、看護師の養成等医療従事者の確保につきましては、広島県保健医療計画を踏まえ、関係機関等と協議する中で、検討してまいりたいと考えております。次に市立短大において正看護師養成を行なうことについてであります。18歳人口が減少し、女子の4年制大学志向の漸増など、大学を取り巻く環境が今後ますます厳しくなる中、本学の今後のあり方等については、「財政面からの実現可能性」「社会的ニーズ」「発展可能性」「市として大学を持つ必要性」など、現在取りまとめている「外部評価委員会」での、大学運営全般に関わる様々な意見や助言を参考にしながら、幅広い視点で検討する必要があるものと考えております。

<答弁に対する感想>
市民病院看護師の70名という大量採用の理由は、大量の看護師の退職が原因と聞いています。今後も退職者が増えないよう、定着率のアップを図るべきだと思います。
看護師の充足率については、日本の病院の最も厳しい看護基準でも下記の通り「2:1看護」と呼ばれる、患者2名に対し看護師1名というものです。
1、正看護師及び准看護師の合計数は、入院患者数2に対して1以上であること。(通称2:1)
2、看護職員の最小必要数の7割以上が正看護師であること。
3、入院患者の平均在院日数が21日以内であること。

以下、「2.5:1」「3:1」「4:1」「5:1」「6:1」と続き、例えば「3:1」の基準でも、立入検査をクリアしていれば看護師は充足していることとなりますが、もっと質の高い看護「2:1」を目指そうと思えば、増員がなかなか難しいという現実があります。まして、日本の病床100床当たりの看護師数は先進8ヶ国の最低であり、米国とスウェーデンは日本の5倍、カナダは4倍、デンマークが3倍です。医療法に基づく立入検査をクリアしているから、単純に看護師が充足しているとは言えないと思います。
最後に市立短大ですが、存在感の薄い短大に特色を出すために、看護科を設置して専門分化してゆくのは大いに意味があると思います。福山市独自で看護師養成は、将来の超高齢化社会に向けて非常に有意義な取り組みと思われます。

議会が終わるとその足で、亀井郁夫先生の出陣式に参加しました。
ほんの2ヶ月前の私の選挙でお世話になった皆様とも顔を会わす事ができ、また共に頑張ろうと約束いたしました。
この度の選挙については「無風」という向きもあるようですが、亀井先生が特に力を入れている教育基本法の改正などの教育問題や、年金問題やイラク問題など、国の方針を定める上で非常に重要な選挙です。皆様も新聞・TV・個人演説会等で候補者の声をしっかり聴き、判断材料にしていただきたいと思います。



6月23日(水)
今日は沖縄戦終結の日です。
25年前、私が小学4年生の時に家族旅行で沖縄に行き、戦跡めぐりをしたことがあります。海軍司令部壕跡、ひめゆりの塔、健児の塔などへ行き、日本唯一の地上戦の舞台となり、多くの民間人の犠牲者を出した「沖縄」について学びました。
その沖縄の犠牲者を代弁する言葉として、1945年6月、沖縄戦で自決した私と同姓の大田實海軍中将の電報があります。自決する前、沖縄県民の実情を訴え、「沖縄県民斯ク戦ヘリ。 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ」と電文を打ったことはよく知られています。那覇市では平和教育の一環として、戦跡の解説・証言等のページを作っておられます。ご参照ください。

  http://www.city.naha.okinawa.jp/heiwa/gaid/online/index.htm



6月22日(火)
常任委員会が開催されました。
市民病院に2類感染症病棟6ベッドが新設される問題で、昨年度の2類感染症患者は市全体で年間で2名しか発生していないが、ベッド数は適切か否かの質問をさせていただきました。
回答として、6ベッドは指定最小単位であり、6ベッド以上の病棟整備が必要との事です。市民病院は不採算医療も担う使命がありますが、やはりトータルでの赤字は最小限に抑えるべく、人的配置も含めて十分検討する必要があると思います。



6月21日(月)
共産党・土屋とものり議員の代表質問がありました。
彼は市議最年少の28歳の新人で、多数の応援団が見守る中、堂々とした質問ぶりでした。老人医療費の70歳まで3割負担の問題、国保税の引き下げの問題、乳幼児医療費一部負担金の問題などを取り上げられました。
私の代表質問は当分先になりそうですが、しっかり勉強して、財源の裏付けのある質問や提案をしてゆかなければならないと感じました。



6月20日(日)
久しぶりに「朝起き会」に参加いたしました。
今日は父の日ですが、私は母についてお話させていただきました。お話をする前は、話のネタを考えるたびに涙が出そうになりましたが、演壇自体は努めて明るく、ユーモアを交えて無事にこなすことができました。しかし、その後に演壇に立たれた方が、「悲しい気持ちを隠して気丈にお話をされていた」と私のことを持ち上げていただき、そのお話を聴いて、不覚にも涙が出てしまいました。
午前中は宮沢洋一代議士の国政報告会に参加いたしました。
さすがに厚生労働委員会に所属しているだけに、年金問題についての造詣が深く、民主党案の弱点をずばり突かれました。民主党案の年金制度改革では消費税は最低でも二桁になり、制度の一元化についても聞こえは良いが、自営業者・サラリーマン・主婦等の違う立場の人たちの制度を一元化することには、無理と無駄が生じるとのお話でした。
午後から、子供を連れてグリーンラインに行きました。
路肩に車を停め、ぐずる子供をなだめながら山道を登り、25年ぶりにある場所にたどり着きました。ここは私が小学生のときに母と共に登った場所であり、市街が一望できる場所です。木は成長していましたが、展望に大きな変化はなく、懐かしさで一杯でした。



6月19日(土)
グリーンラインを愛する会による「グリーンライン秋祭り」の打合せ会に参加いたしました。私の所属する駅伝チームで、箱根駅伝をイメージした「グリーンライン駅伝」を企画しており、その提案をいたしました。(詳しくは「イベント案内」をご参照ください)
「駅伝」の楽しさ、チームワーク、終了後の充実感は本当に素晴らしく、近隣市町村でも町おこしの一環として、大いに盛り上がっています。ぜひとも、この「グリーンライン駅伝」を市民の体力・健康増進を兼ねて、実現したいと考えています。
アップダウンの激しいコースですが、1区間3km程度ですので、友人や職場の同僚などに声を掛けて、ぜひ参加をご検討ください。当日の「秋祭り」は盛り沢山の企画で、きっと楽しいイベントになりますよ。



6月17日(木)
今日から市議会では各会派による代表質問が始まりました。
代表質問とは、会派内で何を質問するか意見を出し合い、一人が代表して市長に対して質問する形式です。緑風会では佐藤和也議員が登壇し、下記の質問を行いました。
私の考えた質問はごく一部ですが、先輩議員の皆さんが考え、集約した質問は非常にバランスが取れており、やはりこの会派に入って間違いは無かったと確信いたしました。
ただし、下記のような一問一答式ではなく、40分くらいかけてすべての質問を読み上げ、それに対してまとめて答弁があります。しかも、具体的な答弁は非常に少なく、物足りなさを感じました。
1、 合併について
質問:神辺町との合併については「編入合併」と理解して良いか?
答弁:法廷合併協議会において協議してゆく。

2、 行財政改革について
質問:市職員の調整手当について即刻廃止の方向を打ち出すべきではないか?
答弁:廃止の方向で検討しており、時期等を検討している。
質問:公立保育所の民間委託を推進するべきではないか?
答弁:今年度より国の三位一体改革の一環として公立保育所の運営費が一般財源化され、公立保育所の割合の高い福山市にとって、その影響が大きいものと受け止めている。
質問:学校給食の民間委託を推進すべきではないか?
答弁:現行を継続させていただきたい。

3、 環境行政について
質問:芦田川の水質改善について
答弁:より一層、市民に親しみやすい河川環境の創造に努める。
質問:芦田川「清流ルネッサンスU」の計画の具体について
答弁:近く開催予定の「芦田川下流水質浄化協議会」にて協議予定である。
質問:「芦田川環境マネジメントセンター」設立の経緯と現状について
答弁:水質浄化に対する地域住民の関心を高め、住民の参画を促すための支援組織と位置付け、設立を検討中である。
質問:芦田川の水質が悪いことの一因に、高屋川流域の神辺町の下水道普及率があるのではないか?
答弁:H15年度末で普及率14.7%である。対して福山市は65.6%である。
質問:鞆沖の不法投棄、加茂・山野の不法投棄の今後の対策と処理費用について
答弁:H15年度中に処理を行なった不法投棄は262件であり、その処理費用は280万円である。悪質な7件については警察に通報しているが、投棄者が判明したのは1件のみである。対策としては監視カメラの増設を計画している。
質問:ごみ処理有料化に向けての動向はないか?
答弁:国の動向をなどを十分見極めてゆきたい。

4、 福祉行政について
質問:高齢者の健康増進の一環として専用グランドゴルフ場の整備予定は?
答弁:兼用グランドの利用状況を踏まえて検討する。
質問:「子育て支援ボランティア」事業の今後の方向性について
答弁:今月より保健師と同行訪問を行い、身近な相談相手として、子育て支援の情報提供者として活動を始めたところである。
質問:「乳幼児医療費助成制度」について、従来、「通院」は3才までから就学前まで、「入院」は就学前までから小学3年生まで助成が拡大されるが、無料だった旧制度から、1日500円の自己負担が生じる新制度によってかかる予算額について
答弁:制度改正により2億3千万円増加し、予算合計は7億1千万円と試算している。
質問:親の子供に対する虐待が増える中、民間の児童養護施設に収容された子ども達の心のケアに、心理療法士を派遣する考えはないか?
答弁:児童相談所と連携を図り検討してゆきたい。
質問:市民病院の看護師採用は今年度70名と聞いているが、圏域の看護師の充足率と、市内の看護学校が減る中、市独自(市立短大)で看護師養成の考えは無いか?
答弁:70名採用により必要数は確保でき、今後は退職者補充が主となる。圏域内の看護師充足率は、医療法25条の立ち入り検査の結果、全医療機関で充足している。看護師養成については、関係機関や市立短大の「外部評価委員会」等と協議して検討してゆく。

5、 土木行政について
質問:福山駅周辺整備について、竣工の時期をお示しください。
答弁:駅前広場(ロータリー)についてはH19完成を目指している。再開発ビルの竣工は、東桜町地区(繊維ビル)はH20、伏見町地区はH22を目指している。
質問:駅北側の整備計画及び、福山城パークロード計画の進捗状況について
答弁:駅南口整備に続いて計画策定する。パークロードについては一部地権者の同意が得られず、完成に至ってない。

6、 教育行政について
質問:長崎の事件を踏まえ、「心の教育」について教育長の所見は?
答弁:本市学校教育ビジョンの重点目標の一つである「豊かな心」の育成に向け、道徳教育を中心とした取り組みを進めている。そうした中にあって、「命の尊さや大切さ」「自分がかけがえのない存在であると同時に、他人もかけがえのない存在であること」が真に実感できるよう、ボランティア活動や社会福祉施設等で多くの人々との交流を仕組んだり、動植物とふれ合う自然体験を取り入れたりするなど体験活動を充実することが重要である。
質問:中高生の自転車交通マナーについて
答弁:交通ルールを守ることの重要性を認識させ、加害者・被害者にならないための教育を進め、交通事故防止に努めている。



6月13日(日)
今日は幼稚園の参観日であり、子供から「たんぽぽ組」と「うめ組」に迷わず(笑)来るようにお願いされておりました。私は娘と一緒に泥団子を作りましたが、30年ぶりの泥団子作りは懐かしく、ピカピカの泥団子を作って娘を驚かせてやりました。
泥団子をもっと知りたいあなたは・・・http://www2.ocn.ne.jp/~tutimizu/
午後はネットワーク地球村の高木善之代表の講演会に参加させていただきました。
環境派?議員のフリをしておりましたが、あらためて自分の無知を思い知らされました。
国連によると日本の環境保全力は世界62位であり、世界中の焼却炉の70%を保有しており、世界一ダイオキシンを撒き散らしているとのデータが示されました。アメリカと日本を除く先進国がこぞってゴミ減量策に取り組み、プラスチックを禁止し、ゴミ回収の企業責任を明確にし、ゴミ有料化・デポジット制度を採用したのに対して日本人はあまりに無知・不勉強であったと感じました。
また日本の穀物自給率は28%しかないにもかかわらず、日々3000万人分の食料を捨てている、飽食国家ニッポンの実態についても知りませんでした。「輸入してまで食べ残す不思議の国ニッポン」という公共広告機構のCMがありましたが、アフリカの餓えた子供たちを「かわいそう」と見ている私たちこそ、子供たちの「餓え」を作り出しているという事実に気づかなければなりません。
地球温暖化についても、2000年に日本はCO2を6%削減という目標を立てたにもかかわらず、逆に11%増加しているというのが実態です。1年間に消費している割り箸257億膳の97%は中国より輸入しており、3LDKの木造住宅が2万軒建つ量だそうです。皆さんぜひ「マイ箸」を持ちましょう。
では私たちに何ができるかというと「できることから始めよう」という事です。
車の利用を極力控え、エアコンを弱めに設定し、風呂・台所にかかるガス・電気を節約し、TVは一家全員で観るなどの工夫をすれば良いわけです。私も議会には自転車で通い、家にはエアコンがありませんし、TVはニュースしか観ないようにしております。
高木代表の熱い言葉に触れ、私もさっそく地球村に入会いたしました。
「ネットワーク地球村」ホームページ:http://www.chikyumura.org/
夕方は高校の先輩・和田たかしさんの国政報告会に参加させていただきました。
当選後150日の諸活動についていろいろとお話を伺いましたが、やはり旬な話題として年金問題が取り上げられました。制度維持の基本的な考えを世代間扶養から、国民全体で年金制度を維持する方式へ転換するために、消費税で財源を確保するという考えをベースに、基礎年金部分の財源として消費税を7%へ上げることにより、財源を確保する民主党案の説明を受けました。たしかに与党案は合計特殊出生率が1.29に下がるなど、早くもほころびが目立ち始めております。しかし民主党案もまだ具体的な数字が出ておらず、消費税率2%アップでどのような保障内容になるのか早急に示していただきたいと思います。



6月12日(土)
岡山県久米郡旭町の母の実家を訪れました。
実家は山の中の一軒家で、私が物心ついた頃にタイムスリップしたかのように30年間ほとんど変化がありません。90歳を超えた祖父母が健在であり、在りし日の母の思い出を話しながら、母が祖父母に送った絵手紙を読み返しましたが、いつこれだけの絵手紙を描く時間があったのか不思議です。チョモランマ出発前の最後の絵手紙「ありがとう、ありがとう」を持っておられる方、どうぞ大切に保存してやってください。
子供たちを家の周囲で遊ばせながら、私が子供の頃に石垣の上からおしっこの飛ばしっこをした事や、茶の実を拾ったり、栗を拾ったりした事を懐かしく思い出し、ここに母・祥子のルーツがあり、ひいては私達に対する自然環境教育の原点となり、自然を大切にしなさいという母の教えが、私が市会議員になると決めた一番の動機に繋がっています。
その後、母の母校・津山高校を訪問いたしました。
母は津山に下宿して学校に通っておりましたが、明治33年に建てられた校舎が現存しており、母もここで勉強したかと思うと感慨深いものがありました。偲ぶ会にて当時の数学の先生に伺ったのですが、当初母は教師を目指していたそうですが、先生の勧めで医学部に進んだそうです。
津山高校ホームページ:http://www.tuyama.okayama-c.ed.jp/
津山から福山に帰り、服部川ホタル鑑賞会に参加させていただきました。
子供たちは綺麗な川を見ると本能的に入りたくなるらしく、日が暮れるまでの間は川の中で遊び、暮れると一生懸命ホタルを追いかけておりました。



6月11日(金)
今日は6月議会初の本会議です。
新聞にもありましたように、傍聴した方からすれば議案説明が終わるやいなや「異議なし」が多く、一見何も審議していないように見えるかもしれません。しかし本会議1週間前には議案説明会があり、各自審議の上で本会議に臨んでおります。とは言えやはり儀式的な雰囲気は拭えず、議案のレジメを配るなど、市民が傍聴してわかりやすい議会にする工夫も必要でしょう。
本日の一番のトピックスは競馬場の問題でした。
平成15年度単年度赤字は1億7千9百万円あまりであり、5年連続の繰上充用(16億1千2百万円)となりました。繰上充用とは年度経過後、歳入が不足することとなった場合、翌年度から歳入を繰り上げて充用する事を言いますが、要は累積赤字のことです。また、先日オープンした場外馬券発売所(シャトル神辺・三刀屋)の売上も当初見込みほどではなく、苦しいスタートとなったとのことです。競馬事務所長より「非常に厳しい状態」との説明がありましたが、本当に競馬場は今が正念場だと思います。これ以上の振興策・打開策は無いのか、無いとすれば落しどころはあるのか、議会での決断が求められる時期が来ることと思います。



6月9日(水)
いつまでも喪に服している訳にもいきません。6月議会が始まりましたので、その様子をお伝えいたします。
3日には常任委員会の民生福祉委員会に出席いたしましたが、福山市の保健・医療・福祉事業の概略について説明を受けました。初の委員会出席で緊張いたしましたが、市民病院の救急患者受け入れの件で質問させていただき、今後とも救急患者の積極的な受け入れを要望いたしました。
9日は都市整備特別委員会に出席致しました。
駅前広場(ロータリー)の整備、伏見町再開発、東桜町地区(繊維ビル)再開発、福山・大門線シンボルロード等の進捗状況について説明がありました。再開発事業を進めるにあたっての様々な困難な課題についても理解することが出来ましたが、いかんせん年月が過ぎる割に事業が前に進まないという印象を受けます。伏見町・繊維ビル共に高層ビルを中心とした大規模なアミューズメント施設やマンションに変貌する計画ですが、市の主体事業ではないとは言え、この財政難の最中に多額の補助金を原資とした計画が実現するのか不安を感じます。
駅前ロータリーについては、皆さんの自家用車が駅前でUターンできない事に不便を感じておられると思います。たしかに現計画では自家用車はUターンできますが、その代償として駅前からニューキャッスルホテル方向へ進入することができず、サントーク方面からも駅前に進入できない計画です。それも前段の計画があり、このプランが完成するのは相当期間先となるでしょう。なんとか現状の交通の流れに駅前でUターンする機能を追加できないものでしょうか?
福山駅前整備計画:http://www.y-asano.com/fukuyama/ekimae.html



6月6日(日)
「大田祥子を偲ぶ会」に多数の方にご出席いただき、本当にありがとうございました。
やはり会場が狭く、多くの方が入場できず帰られたと聞き、申し訳ない気持ちで一杯でございます。
大田祥子のエピソードを話せば本当にキリが無いのですが、無理やり15分程度でまとめてお話いたしましたので、分かりづらい点もあったかと思います。チョモランマ登頂成功という快挙への足跡が少しでも皆様に伝われば幸いです。会でもお話しましたように、祥子さんは以前より「人生は終わりがあるから良い、行く行くは最後の時が来るわけです。一足早いか一足遅いか、たったこれだけの事でおまいりする日が来るのです。この最後の時というのはやっぱり、神様の思し召しによるわけですから、その最後の時をいかに上手に迎えるかという事が大切です。そのためにできるだけ人の世話にならずに上手に一生を終えたいと思えば、辛い事ですが毎日毎日の努力が必要です。過食を慎み、適度な運動を心がける事が健康で長生きするコツです。」という旨の話をしておりました。人に言うばかりではなく、自ら実践するのが彼女のモットーであり、自らこれ以上は無いといって良いほどの、素晴しい人生の幕引きをしたように思います。彼女の最後は決して苦しんだ様子はなく、最大の難所「2nd Step」を見事に下降した直後の滑落であり、まさに「PPK・ピンピンコロリ」だったと思います。63歳というと「早い」と思われる方もおられるでしょうが、彼女は鉄のような硬い意志を持ち、1日25時間欲しいと思い、医師・母・妻・農家・登山家として、皆様のおかげで充実した人生を過ごすことができました。皆様におかれましても、祥子さんの教えを心の中に持ち、標高8500mの場所で名実共に「お天堂様」になった祥子さんが常に見守ってくれていると思えば、心豊かな人生を過ごすことができるものと祈念しております。



5月28日(金)
朝、起きるやいなや宿の屋根に上がると、ついに見えました!チョモランマ!
母も登ったであろう町の近くのティンリーの城跡に登ると、朝焼けの中、チョモランマもチョー・オユーもはっきり見え、誰もいない丘の上から思いっきり「お母さ〜ん」と呼びかけました。
今日の行程は標高5200mのロンブク・ベースキャンプを往復し、一気にニャラムまで帰るという強行軍です。
母は生前、斉藤茂吉の歌集を愛読しており、特に「赤光」がお気に入りのようでした。
慌しい出国前に友人が「赤光」を貸してくれ、「死にたまふ母」を改めて読み直してみました。
・みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞいそぐなりけれ
・吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
・死に近き母に添い寝のしんしん遠田のかはづ天に聞ゆる
・我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
一体、母はどのような気持ちでこれらの歌を私に読み聞かせてくれたのでしょうか・・・
ベースキャンプまでの道は一層の悪路となり、がけ崩れの山を越え、橋の無い川を渡り、中国製ランドクルーザーも悲鳴を上げそうです。
やっと標高5,000mにある世界最高所の僧院・ロンブク寺に着きましたが、残念ながらチョモランマ頂上は雲の中です。更に進み13時頃にとうとうベースキャンプに到着しました。
現地には登山隊のメンバー、シェルパ達が尽力して「大田祥子記念碑」が建立されており、さっそく登山隊一同による慰霊祭が執り行なわれました。僧の資格を持つシェルパが読経する中、頂上の雲がどんどん晴れてゆき、母の眠る頂上直下の第2ステップもくっきりと見えてきました。
ガイドの大倉氏より遺品・遺髪を受け取り、記念碑にはばらの町ふくやまを象徴する「折りばら」と家族写真や孫の写真を供えました。父も私も不思議なほどに体調は良く、高山病は杞憂に終わりました。
立派な記念碑も建ち、この目で山を見ることもでき、登山隊メンバー他関係者の皆様の暖かい配慮の下、本当に良い供養の旅ができたと思います。深く感謝申し上げます。お陰さまでなんとか気持ちの整理もできそうです。今後はこの気持ちを元に、母の意志を一人でも多く方に伝える事が、私の使命であろうと思います。
なお、母のお別れ会を6月6日(日)9:30〜福山ニューキャッスルホテルにて開催いたします。
故人の意志を尊重し、なるべく明るい雰囲気のお別れ会とする予定ですので、失礼も多々あろうかと思いますがご容赦ください。



5月27日(木)
今日の目的地、ティンリーの町は標高4342mであり、ここまで来てやっとチョモランマが遠望できるとのことです。
道中、標高5100mのヤルレ・シュンラ峠を越え、未舗装の荒涼としたチベット高原をひた走り、夕方にティンリーに到着しました。粗末ながらも味のある宿に荷物を置き、付近を散歩しました。残念ながらチョモランマは雲の中でしたが、小学生が野原で課外授業を行なっていたので見学に行くと、素朴な笑顔の子ども達が大勢集まってきました。しばし一緒に遊んだのですが、標高4000mを超える高所ですから、私はすぐ息が切れます。対して子ども達の元気一杯で、環境さえ整えばオリンピック選手になれるのではないかと感じました。
貧しくて着る物も食べ物も満足に無いであろうと思われる子ども達でしたが、その笑顔の明るさは日本人の子ども達が忘れてしまった物のように感じました。



5月26日(水)
今日の目的地はニャラム(3750m)。わずか30km進むだけですが、標高が一気に1400m上がり、ほぼ富士山の山頂と同じ高さとなります。しかし4人とも食欲は旺盛で、不謹慎かもしれませんが母のエピソード等で楽しい雰囲気の旅になってきました。もう涙も出し切ったと割り切り、気持ちを明るくしないと自分達が高山病になりそうな気がしたからではないでしょうか。
ニャラムはまさに辺境の町で、文明の香りは一気に低下しました。ここでロンブクのベースキャンプから他隊員を残して急遽下りてきてくれた近藤隊長が出迎えてくれ、母の遭難の模様をつぶさに聞くことができました。詳細はお別れの会にてお話させていただきますが、一言で言えば「あっぱれ」というところでしょうか。
遺体については、やはり収容は不可能ではないが「戦艦大和を引き上げるような事」で、現地埋葬がベストの選択だと思いました。



5月25日(火)
いよいよ陸路。国境の町ザンムー(2350m)へ出発です。カトマンズの雑踏を抜け、のどかな田園地帯を通り、いよいよ山の中に入って行きます。カトマンズ郊外は昭和40年から50年頃の日本を思わせ、私の幼少の頃の記憶をたどると、こんな風景があったな〜となんとなく思い出します。
国境には「友好の橋」がかかっており、橋の中ほどに赤いラインが引いてあり、そこから先は中国です。登山隊等の荷物は一旦車から降ろし、現地のポーターが人力で橋を渡します。子どもから老人まで自身の体よりも大きな荷物を運んで、そのチップで生活しているわけですので子ども達も真剣です。
しかし、頼みの現地ガイドが待てど暮らせど来ません。3〜4時間橋の上で時間をつぶし、いよいよ国境ゲートが閉じる15分前にガイドがやって来て、滑り込みで入国することができました。ガイドがチベットのラサから陸路ランドクルーザーを飛ばしてきたのですが、悪路と渋滞にはまり遅くなったとの事です。



5月24日(月)
ネパールからチベット入りするためのビザ取得のため、今日一日はカトマンズ待機となりました。
万一チベット側の天気が悪くチョモランマを拝めないかもしれないと考え、カトマンズから周遊ヘリコプターに乗り、ルクラ経由でエベレストの展望台・カラパタール上空まで飛び、空からエベレストを展望することができました。見ることは見れましたが一瞬のことですし、母のいるチベット側とは反対のネパール側ですから山容も全く違い、まるで別の山の様です。ただ、このカラパタールは母が初めてネパールにトレッキングで訪れた地であり、ここからエベレストを見て「いつかは登りたい」という気持ちを持ったかもしれないと思うと、感慨深いものがありました。
午後はタメル地区に父の防寒服等の買出しに出かけました。ここには過去の登山隊の残していった中古品が売られており、無いものは無いといった所です。



5月23日(日)
深夜1:25発のタイ航空バンコク経由カトマンズ(ネパール)行きに搭乗するため、父と共に関空に向いました。福山駅まで見送っていただいた皆様、ありがとうございました。関空には友人の関根夫妻が終電の無い時刻に見送りに来てくれ、後先考えずに空港に来てくれたことに感激しました。
アドベンチャーガイズ社からKanaさん(キリマンジャロ登頂)、現地コーディネーターMarikoさん(ネパールの達人)と4人で現地時間の12:35にカトマンズに到着です。車とバイクによる埃とすさまじいクラクション、牛が道路に寝そべる中をホテルに向います。
今後のスケジュールの打合せを行ないましたが、わずか3日で標高5200mの登山隊のベースキャンプに私だけ行くか、父と二人とも行くか判断に迷いました。いうのも、通常のトレッキングでは5000m以上の高所に行く場合、高山病予防のため7〜10日くらいかけてゆっくり標高を上げてゆき、体を順応させることがセオリーだからです。しかし、一刻も早く母の眠る地に行きたいという気持ちと、一日でも早く帰国しなければならないという焦りが入り混じり、複雑な心境です。結局、父も行ける所まで行く事としました。



5月22日(土)
朝から多くの方に弔問においでいただき、ありがとうございました。
十分なご挨拶もできず、申し訳ない気持ちで一杯です。取り急ぎ病院南の事務所にて記帳台を設けておりますので、ご都合がよろしければお寄りください。
いつも思うのですが、山岳遭難事故というのは本当に多くの方にご迷惑をかけ、また悲しみを与え、当事者家族として深くお詫び申し上げます。
記者会見でも申し上げましたが、家族の総意で遺体の搬出を要望しない旨を現地に連絡いたしました。
ヒマラヤ登山には超高所で遭難した際は、遺体の搬出を諦めるという暗黙のルールがあります。人間一人が行動するのが精一杯の過酷な環境で、遺体を背負って行動するなど自殺行為であり、2次遭難を誘発する可能性が高いからです。これ以上の犠牲は絶対に回避しなければなりません。遺体を置き去りにすることは断腸の思いであり、皆様のご理解も得られないかもしれませんが、地球上でここ以上に天国に近いお墓もないわけですから、なにとぞお許しください。「山がそこにあるから登る」のジョージ・マロリー氏も、この近くで眠っておられます。
また、山岳遭難事故は必ず責任問題に発展する可能性があります。
今回におきましては、近藤隊長・大倉ガイドは共に日本を代表する山岳ガイドであり、判断ミス等は無かったと確信しております。隊員の力量も高く、全員が過去に8000m以上の山に登頂した経験があり、同じ隊での登山経験も多く、チームワークも抜群であったと聞いております。祥子隊員も一昨年のチョーオユー(8201m)では、近藤隊長と共に右肩脱臼というアクシデントを乗り越えて登頂を果たしており、隊長との信頼関係も強い物がありました。自身のトレーニングも豊富であり、トライアスロン等に出場する私が、山では着いて行けないほどの健脚を誇っていました。
つまり、今回の事故は自然の脅威に負けたとしか言いようが無く、誰の責任でもなく、本人は夢が達成できて満足のことと思います。ただし、この事故により第2次アタック隊の登頂が中止されたことに対する責任は大きく、他隊員の皆様には多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
故人の意志により、葬儀は執り行なわない予定ですが、「偲ぶ会」か「お別れ会」を6月以降に企画予定ですので、今しばらくお待ちください。
6月議会に向けて勉強しなければならない時期ですが、22日19:30の新幹線で私と父が現地に向けて出発します。往復約1週間の予定で、登山隊のベースキャンプ(5500m)まで行き、隊員の皆様にお詫び申し上げると共に、お別れを告げてきたいと思います。しばらくの間、メールに対する返事ができませんが、チョモランマのふもとまで行ってきます。
私自身は、一人前になることが最大の親孝行であると誓い、今後の市議会の活動に全力を投入する覚悟です。



5月21日(金)
すでに報道等でご承知かと存じますが、母・大田祥子はチョモランマ登頂成功後、下山中8500m付近で突然意識を失い行動不能となり、ガイドの懸命の蘇生処置にもかかわらず、その場で永眠いたしました。
遺体搬出は現場の状況から察するに、非常に厳しいと思います。しかし、天国に一番近いところで安らかに眠っていることと思います。
今回の登山は本人の20年に及ぶ山登りの集大成とも言えるツアーで、本人も十分なトレーニングを積み、経験豊富なガイドを中心とした良好なチームワークのもと、必ず成功して無事に帰ってくるものと信じておりました。しかし、8000mを超える極限の地ですから、万一ということももちろん胸の中にありました。
皆様にはご心配をおかけいたしておりますが、現地からの情報が少なく、今後の対応というのも未定です。
状況が判り次第お知らせいたしますので、今しばらくお待ちください。



5月20日(木)
母・大田祥子(63歳)が本日5月20日14時47分(現地時間10時47分)、アドベンチャーガイズ公募登山隊の一員として、チベット側(北稜)よりチョモランマ登頂に成功しました! 今朝の4時に標高8200mの最終キャンプ(C3)をガイドの近藤氏ほか3人と数名のシェルパと共に出発し、1人は途中で引き返すという激しい風雪により視界がほとんど利かない中、10時間以上かけて頂上に達しました。我が母ながらあっぱれとしか言いようがありません、本当におめでとうございます。頂上からガイドの近藤氏が、衛星電話により日本の留守番隊に電話とEメールを送るという離れ業もありました。現在下山中ですが、無事に日本へ帰ってくることを祈っております。
また記録としても、日本人女性としては田部井淳子、難波康子、続 素美代、高橋留智亜、渡邉玉枝に続く6人目の快挙です。年齢的にも渡邉さんの持つ女性世界最高齢登頂にわずか4ヶ月足りないだけです。昨日は4人目の孫も誕生し、喜びも2倍の事と思います。
なお、登山報告会は6月19日(土)14:00〜 アルシェ良縁閣にて開催いたします。どなたでも参加できますので、多数ご参加いただき、登頂を祝っていただければと思います。(ガイドの近藤氏も参加予定)
応援メッセージは、アドベンチャーガイズのホームページ「登頂日記掲示板」にどうぞ。
http://www.adventure-guides.co.jp/koubo1.html



5月18日(火)
5月1日より国民年金に加入の手続きを行ないました。
国会では年金問題で大騒動ですが、私自身の年金加入状況をお知らせしておきます。
私が初めて年金に加入したのは、平成2年8月1日(22歳4ヶ月)です。以来今日まで切れ目なく保険料を支払いしております。学生の間は未加入だったわけですが、学生も強制加入となったのは、平成3年4月1日からですので、建前上は問題ないと思います。しかし国会では学生時代に未加入期間があった人まで槍玉に上がっており、首を傾げざるを得ません。
福山法人会の総会にて、田原総一郎氏の講演を聞きましたが、やはり年金問題に触れられました。
現行の年金制度を維持してゆくには、次の2点が前提条件となり、一つは経済成長が続くこと、もう一つは人口が増えることだそうです。これらの前提条件が崩壊した今、自民・民主両党の年金改革案はいずれも無理があるとのことです。具体的に自民党案では、合計特殊出生率が1.39に上がり、サラリーマンの給与が毎年2%アップするという前提で、現行の負担率13.5%から18.3%へ上げ、基金が3%の利率で運用できるという「仮定」が多く存在するのです。現状ではいささか無理のある仮定とは思いますが、年金制度を維持するには、更なる子育て支援や景気回復が必要であると言えます。



5月17日(月)
5月分の議員報酬をいただきました。
まだ仕事らしい仕事はほとんどしていないので心苦しい反面、やはり報酬をいただけるという事に対しては、素直にうれしく感じました。
報酬額は市民に公表してありますので、ここで書いても問題ないと思いますが、月額619,000円です。共済費、所得税等を控除した手取りは499,280円でした。この額が多いか少ないかについては、多くのご意見があろうかと思いますが、早く報酬に見合うだけの仕事ができるよう頑張りたいと思います。しかし、一見多く見える報酬も、議会報告(ゆうすけ通信)を1回発行すれば、切手代だけでも1か月分必要です。皆さんの税金から生じたこの報酬を、無駄の無いように大切に使わせていただきます。



5月15日(土)
ばら祭り初日に参加しました。
10時からの開会式に参加後、ばら関連グッズ販売コーナーにて多種多様のばらに縁のある作品を見学し、福山市保育連盟の「わくわく広場」にて、保母さんたちの熱演に圧倒されながらも、育児相談コーナー等を見学しました。医師会のテントでも育児相談をやっており、若い親子連れがひっきりなしに訪れていました。これからの福山を支える子ども達をいかに育てるかという事を、私たち政治に関わる者が真剣に考えなければならないという事を再確認いたしました。
また、医師会テントでは禁煙相談もやっていましたが、禁煙は今となっては当たり前のことで、私はもう一歩踏み込んで、スポーツによる健康増進を今以上に推進したいと考えています。健康あってこそ仕事がはかどり、生産性も上がり、町も活性化すると私は考えています。
しかし、スポーツと一言で言っても、相手が必要であったり、特定の場所が必要だとなかなか継続することが難しいものです。もっとも簡単で、道具も要らないし、好きな時間に出来ることと言えば、ウオーキングかジョギングでしょう。そこで、ジョギングを市民に啓発する一環として、ばら祭りの会場にて「ばらのタスキリレー」という企画を行ないました。私の周囲の走ることが好きな人たちに声をかけ、緑町公園内の1周1kmの遊歩道を使って、タスキリレー形式で4時間に何周できるか走ってみようという企画です。
12時に3チームでスタートし、多くの方から声援をいただきながら走る事がだんだん快感になってきたのか、自分の順番が来なくてもタスキなしで走る人も出てきて、大いに盛り上がりました。中学生の飛び入り参加もあったりして、密かに会場内の注目を集めていたようです。そのうち公園内だけでは物足りなくなってきて、皆で緑町公園→ばら公園→中央公園→トライアングル広場→商店街(本通、久松通り、ローズナード霞)と、ばら祭り会場を隈なく走りました。実際にすべての会場を自分の足で回ってみて、各所における企画の当たり外れや、人通りの多少についても知ることができました。
4時のゴール時点で、長い人は30km、私も20kmは走った計算になりました。以後、雨が本降りになり、視察?は終了となりました。来年も何か企画して、ばら祭りを盛り上げたいものです。実行委員の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にお疲れさまでした。



5月13日(木)
今日は市議会常任委員会委員と特別委員会委員を選任いたしました。
市議会では議案等を専門的、効率的に審査するため、常任委員会と特別委員会を設置しています。常任委員会は常設のもので、4つの委員会があります。私は医療福祉の経験を生かせる民生福祉委員会に所属となりました。
特別委員会は、特定の事項を審査・調査するために設置する委員会です。4つの委員会があり、私は中心市街地の活性化等を議論する都市整備特別委員会に所属となりました。なお、合併調査特別委員会には全議員が所属します。また、その都度設置する予算特別委員会、決算特別委員会にも全議員が所属します。
最後に、福山市・神辺町合併協議会の設置が可決され、特例期限内の合併に向けて議論がスタートすることとなりました。



5月9日(日)
午前中は「ゆうすけ通信」の執筆を致しました。近日中に皆様のお手元に届くと思いますので、楽しみにお待ちください。
昼食はご支援をいただいている新涯町の「尾道ラーメン・竜ちゃん」におじゃましました。箕島に住んでいた独身時代に時々通ったお店で、尾道ラーメンがブームになる前から尾道ラーメンの看板を出されていました。ウルトラマンの人形が目印ですので、皆さんもぜひお寄り下さい。
午後は海上自衛隊の護衛艦「せとゆき」に乗船させていただきました。船の主要諸元は下記をご参照ください。
http://www.jda.go.jp/JMSDF/data/equip/photo/hatsuyuki.htm
きびきびとした自衛隊員の皆様に案内していただき、艦内を見学させていただきました。約20年前に就航した船のわりに古さを感じさせず、機能的な造りに感心させられました。このような護衛艦が日本近海を守っているからこそ、不審船等の領海侵犯にも対処できることを忘れてはなりません。



5月8日(土)
福山市戦没者追悼式に出席させていただきました。
参加者の方に伺ったお話によりますと、年々参加者が減り、式場のテントも小さくなったそうです。
私の手元に四十一連隊の生き残りの方からいただいた、「歩兵四十一連隊ニューギニア戦斗状況」という小冊子があります。その中に昭和45年4月19日開催の四十一連隊の慰霊祭の写真が掲載されていますが、それは多くの方が参列されています。
若い人にはピンと来ないかも知れませんが、私の住む緑町にはその昔、歩兵四十一連隊の兵舎がありました。私が小学生になった頃(昭和50年)ここは広大福山分校であり、まだ赤レンガの兵舎跡などが残っていました。この連隊は東部ニューギニア戦線で壊滅的打撃を受け、更に転戦したフィリピンのレイテ島でほぼ全滅の憂き目に遭い、今では生存者はほんの一握りしかおられません。その悲惨な体験は随分風化してしまいましたが、少々読みづらいですが、下記にて読み知ることができます。
http://www1.ocn.ne.jp/~saron/gunka200.html
追悼式の後、護国神社にお参りして帰ろうとすると、ちょうど陸軍少年飛行兵戦没者慰霊祭が行なわれており、飛び入りで参列させていただきました。当時10代であった少年飛行兵達も、はや70代後半となっていますが、まだまだお元気そうでした。しかし、護国神社の宮司さんが、近年の「政教分離」の流れにより、戦争体験の伝承をますます難しくしているとお話されていました。元少年兵の皆様が今しばらくお元気でおられることを祈念しております。なお、あどけない少年兵たちの写真は下記をご参照ください。
http://www.tokkotai.or.jp/
午後は喜多流大島能楽堂にて新作能「鞆のむろの木」を鑑賞いたしました。
妻を亡くした大伴旅人の霊が、鞆にて妻の霊と再会して、昔を偲んで舞うシーンが心に残りました。
詳しくは下記をご参照ください。
http://www.osimanoh.gr.jp/



5月6日(木)
今日は当選後の初登庁です。
いつも通り自転車で市役所に行き、議会棟2階の事務所に向います。議員表示盤の「大田祐介」のボタンを押し、点灯させます。10時からは市職員幹部と新旧議員の顔合わせがあり、会議室入口で議員バッジを付けて頂きました。三好市長から「市の発展のために、理事者と議会で大いに議論を深めていただきたい。」と挨拶があり、各自自己紹介を致しました。
その後、議員一人一人の写真撮影があり、新人は議会棟内部の案内の後、昼休みとなりました。
昼食は市役所ご用達の店?中華料理「一龍」に行きました。この店は以前から顔なじみのお店だったのですが、市役所に出前を頼んでツケがきくとは知りませんでした。ご主人に激励していただき、午後は財政課より平成16年度予算の概略説明を受けました。分厚い資料を前に消化不良になりましたが、繰り返し読んで頭に叩き込むつもりです。



5月3日(月)
日本一の山、富士山に登って来ました。
母は世界最高峰エベレスト8848mに挑戦中、息子は日本最高峰3776mに挑戦です。
とにかく少ない自由時間をいかに有効に使うか・・やればできるものです。2日の22時の夜行列車に乗り、3日の朝5時に富士駅着、友人が迎えに来てくれ、5合目(標高2400m)まで車で登り、8時に登山開始です。あいにく天気は雨でしたが、ひそかに期待を持って登り始めました。6合目からは雪渓を延々と標高差1300mを直登です。単調な登りに荷物が肩に一層食い込む気がし、空気も薄くなり10歩も登ると呼吸を整えなければならず、友人がいなければ途中止めするのにと何度か考えました。
しかしひそかな期待通り、天は我に味方をしました。なんと頂上は雲海を突き抜けていたのです。つまりずっと雨の中を登ってきたのが、頂上のみ快晴という奇跡が待っていたのです。13時に頂上着、腹ごしらえをして、苦労して担ぎ上げたスキーで火口周辺を滑り、14時下山開始です。下りはスキーですから、大斜面に各自思い思いシュプールを描き、あっという間に6合目まで滑り降りました。登りの苦労が嘘のようです。
5合目着は16時、富士市に戻り銭湯に入って、居酒屋で打ち上げをして、23時富士発の夜行列車に乗り、4日の7時に福山に帰りつきました。33時間で広島から富士山登頂というのは、ちょっと自慢できるのではないでしょうか?
ただし、これを読まれて安易な気持ちで富士山にスキーに行くことはご遠慮ください。富士山はスキー場ではありませんので、何かあっても自己責任です。斜度も30度以上あります。天候によってはアイスバーンになり、過去多くの方が滑落死されています。十分な経験、技術、体力、天候、装備などが揃って初めて挑戦できる山だと思います。



5月1日(土)
本日より福山市市議会議員です。
あいにく本日は土曜日のため初登庁は6日からとなりますが、議員バッジが胸についても奢ることなく、市民のために努力してまいります。皆様の一層の叱咤激励をよろしくお願いいたします。
所属会派につきましては、多くの方に相談したところ、やはり1人では発言機会も限られるし、情報も十分には入らないので望ましくないとのご意見が多数でした。多くの方にご支援をいただいた勢いで、1人で活動する事も考えましたが、勉強する場をより多くするためにも、いずれかの会派に所属する道を選びました。
この度、会派の再編成が行なわれる中、明政会(蔵本、池ノ内、桑田)・新政クラブ(徳山、佐藤)・誠友会(森田、稲葉)の7氏が新会派を結成されると聞き、そこに入会させていただく事が、ベストの選択であると考えました。
新会派の名称は「緑風会」です。僭越ですが私が提案いたしました。議会に緑の風を吹かせるように頑張ります。
<イベント案内>を更新しています、ご参照ください。



4月29日(木)
今日は緑の日(旧・天皇誕生日)です。
「緑の日」を「昭和の日」にしてはどうかとのご意見があるそうですが、個人的には良いことだと思います。大東亜戦争後の日本が現在のイラクのようににならなかったのは、ある意味において昭和天皇の功績だと私は思います。
また、イラクで拉致された5人の自己責任問題が論議されていますが、私は5人が危険地帯のイラクに入り取った行動は、基本的に勇気ある行動であったと思います。家族の思いとか、自衛隊派遣問題がからんだため、問題が複雑になりましたが、結局5人の無謀な行動が諸悪の根源であるといった論調が支配的であるように感じます。
この問題は冬山登山で遭難した関西学院大学の時に自己責任問題が論議された件と同じだと思います。多くの大学生が労苦を避け、自由気ままな生活を送っている中、厳しい冬山に挑み、雪の中に閉じ込められながらも1人の死者を出すことも無く、全員生還したことは賞賛に値すると思います。しかし、計画が甘いとか無謀であるとか、マスメディアからさんざん叩かれました。冬山が危険であることは解りきっているのです、だから行くなというのはあまりに安直で短絡的でしょう。大学生は冬山なんか行かずに、コタツに入ってマンガでも読んでいれば良いのでしょうか?
日本人は危険を冒してまで困難に挑戦するとか、人助けをする事ができなくなってしまうのでしょうか?

午後からは、ごみ5R推進本舗主催の「ゼロ・ウェイストへの挑戦」という講演会に参加させていただきました。
ゼロ・ウェイスト=ゴミ・ゼロという意味で、ゴミ問題は、燃やしたり埋め立てたりでは解決できないということで、日本はゴミ政策は根本的な転換が必要であるとのお話でした。
ゲストに日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言を行なった、徳島県上勝町の町づくり推進課の星場課長が来られ、事例報告をされました。この町は町全体から出るゴミの約80%をリサイクルしているそうです。この取り組みは、人口2300人の小さな町だからできたのではなく、ようはやる気と情報収集力であるそうです。最終目標としてはリサイクルできる物しか作らない、買わないといった方針に国全体がシフトしないといけない、その為には国会議員が動かなければならないとのお話がありました。
上勝町のゼロ・ウェイスト宣言については、下記をご参照ください。
http://www.kamikatsu.jp/



4月27日(火)
福山地区ケアマネジメント研究会(FCMC)に参加させていただきました。
三原の県立保健福祉大学の土肥学長による、「ケアマネージメントとリハビリテーション」と題した講演があり、高齢者の転倒予防に筋力の維持・増強が必要であるが、立ち上がり動作などの日常生活動作の中でも、十分に筋力の維持は可能であるとのお話がありました。また、転倒を完全に防止はできないので、転倒してもケガが少なくて済むような「安全な転倒」を目指すというお話が印象に残りました。
次回FCMCは5月25日(火)19:00〜医師会館にて開催予定で、福山市の保健師さんより、今年度の福山市保健事業について説明があります。
なおFCMCのホームページは下記をご参照ください。
http://www.fukuyama.hiroshima.med.or.jp/kaiinhp/fcmc/
今年はT先生が頑張って更新されるそうです。お忙しい中、お疲れさまです。



4月25日(日)
南学区のソフトボール大会に参加させていただきました。
久しぶりのソフトは感覚がまったく戻らず、私自身は役立たずでしたが、小さな町内会でチーム組めたことは有意義だったと思います。
午後は山陽病院の「ふれあい祭り」に参加させていただきました。
バザーやカラオケ大会で盛り上がっており、収益は臓器移植を必要とされる方々に寄付されるとの事です。特に腎臓の移植を必要とされる方は、全国に18,000人もおられ、今以上に臓器移植に対する理解やドナーカードの普及が必要です。この問題は一言で言えば、「助け合いの精神」であり、年金問題などに象徴されるように、「自分さえ良ければ・・」という考えが蔓延している現状では、解決は難しいと思います。子どもの頃から「相互扶助」の考えを植え込む教育が必要だと考えます。
夜は新鮮なイカをいただいたので、私が腕を振るってイカ飯を作りました。
我が家の台所はIHクッキングヒーターなので、炎が見えません。これは教育上良くないと思い、庭にカマドを作り、そこで時々煮炊きしています。子ども達と火の加減をしながら、吹き上がる湯気を匂いつつ、出来上がったイカ飯は絶品でした。子ども達の喜ぶ顔を見ると、また腕を振るわなければと思うのでした。



4月24日(土)
不登校・引きこもりの生徒の受け入れをされている、福山東林館高校の講演会に参加させていただきました。
講師はなんと私の高校の1年後輩の、真言宗・岩瀬密雄住職であり、様々な理由から引きこもりになった方々と、歩いて四国88ヶ所めぐりをするという「歩き遍路」を実行された経験談をお話いただきました。
2ヶ月間、総距離1400kmという長丁場、慣れない集団生活、足のマメなどに苦しめられながらも、沿道の方々からの激励や接待(差し入れ等)、やればできるという達成感を頼りに、遍路を終える頃には引きこもりから脱却するきっかけをつかむことができたとの事です。
私も高校1年の夏休みに、家出同然で四国にサイクリングに行ったことがあります。
当時、私も引きこもり状態にあったのかもしれません、とにかく現状を打破したいという一念で家を飛び出し、四国行きのフェリーに乗りました。7日間、四国半周約800kmを走り、アクシデント続発にもかかわらず、無事に福山に帰ったときには大きな自信が芽生えていました。
本当に「旅」は人生の転機を作るに非常に有効ですね。



4月22日(木)
中断していた早朝ジョギングを再開いたしました。
私のホームコースは緑町公園内のウオ−キングコース(1周約1km)ですが、コース沿いはサツキ・ハナミズキ・八重桜などの花が満開です。皆さんご存じないのか、ここを走っている人はほんの数人しかおらず、もったいないことです。これを読まれた方、ぜひご一緒しましょう。
今日は引き続き挨拶回りや、費用の清算、収支報告書の作成などの残務整理を行いました。
午後はいよいよ選挙事務所に使ったプレハブの撤去です。プレハブが無くなった広い敷地に立つと、「夏草や、つわものどもが夢の跡」という感慨を覚えました。新事務所の住所は、後援会入会者の皆様にご通知いたしましたが、住所にミスプリントがありましたので訂正いたします。
(誤)沖野上町2−5−32 
(正)沖野上町2−15−32
場所は大田記念病院より200m東のせとうち銀行の100m南です。
今日から看板も立て、事務所らしくなってきました。



4月20日(火)
朝7:50より5分間程度、レディオBINGOに出演させていただきました。
話をさせていただいた主旨は、議会活動・その他を通して芦田川の浄化に取り組みたい事、そのために芦田川を会場とした市民参加型のイベント(以前あった手作りいかだレースなど)を開催して、芦田川に対する関心を高めたいという事です。
現時点での案としては、「芦田川カヌー6時間耐久レース」です。
川の中州をトラックに例えて、カヌーで6時間に何周できるかを競うレースで、本気で漕いで記録を狙っても良し、途中休憩しても良し、メンバー交代しても良しという、あまり肩のこらないレースにしたいと思います。
種目は1人乗りの部と、2人乗りの部を設ける予定です。
開催日は8月後半を考えています。
子どもからお年寄りまで楽しめるイベントにしたいものです。
ご意見・参加希望等があれば遠慮なくご連絡ください。



4月18日(日)
正月以来、100日振りの休日です。
まだまだ挨拶回りが十分できておりませんが、遅くなっても必ず皆様の元に伺いますのでお許しください。
午前中はプレハブの事務所の引越しです。約5ヶ月間、最初は広いと思っていた事務所にもいろいろな物が詰め込まれ、2tトラック2杯分にもなりました。新事務所は大田記念病院より200m東のせとうち銀行福山南支店から100m南のマンション(ヴェルシャトー沖野上)の向かいの家の1Fです。(沖野上町2−15−32・電話・FAX番号は変更ありません)
お近くにお寄りの際は、気軽にご訪問ください。
午後は緑町町内会の総会が緑町公園にて開催されました。地元町内会の皆様には大変お世話になり、この場を借りて再度御礼申し上げます。総会の各種報告協議の後は弁当を広げての懇親会、公園でのグランドゴルフ大会となり、楽しい一時を過ごすことができました。
夕方から向島洋らんセンターの、映画「107+1天国は作るもの」上映会に顔を出しました。
監督のてんつくマンと久々の再会を喜び、準備スタッフの皆様からも当選を祝っていただけました。向島には半年振りにバイクに乗って行きましたが、渋滞知らずで予想以上に早く往復できました。これからの季節、バイクが心地よくなります。ライダーの皆さん、安全運転を心がけましょう。



4月13日(火)
母・大田祥子がなんとエベレスト(8848m)に向けて旅立ちました。
一昨年は世界で5番目に高いチョー・オユー(8200m)に登り、今回はついに世界最高峰にチャレンジです。これまでにアフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ、南極大陸最高峰・ビンソンマシフにも登頂しており、満を持しての挑戦といったところでしょうか。
登山の様子は、下記のホームページでほぼリアルタイムで知ることができます。
http://www.adventure-guides.co.jp/koubo1.html
とにかく無事に帰ってこられるよう、皆様の応援をお願いします。



4月12日(月)
一夜明けて、1時間睡眠の眠い目をこすりながら7時20分より駅前にて街頭演説を行いました。
今日は新聞休刊日ですが、ちょうど駅前にて市議選結果の号外が配布されており、号外を受け取られる皆様に当選のお礼を申し上げました。
8時頃より支援者の方々が続々と事務所に来られる中を、私たち夫婦は挨拶回りに出かけました。移動中もお礼の電話のかけまくりです。夜まで挨拶回りが続き、疲労はピークに達しました。しかし、この程度の疲労は跳ね飛ばし、ご支援いただいた皆様に恩返しをさせていただきます。

4月11日(日)
皆さん、ありがとうございました。
初挑戦にして7,805票を頂き、皆様の期待をひしひしと感じます。しかし、投票率53.7%という市政に対する市民の関心の低さを直視しなければなりません。全力投球で福山の町づくりに貢献し、市民の関心を高めたいという決意を新たに致しました。
朝は久しぶりに朝寝坊をして、家族揃って投票所(城南中学校)に行きましたが、投票所はやや閑散としていました。投票率の伸びが気になるところで、案の定、12時の速報では投票率26%と出足は低調です。その後、事務所の残務整理をして、夕方には家に帰り自宅待機となりました。久しぶりに庭先で子どもと遊んだり、花に水をやったり、ガレージ下に伸ばしているぶどうを剪定したりして過ごしました。我が家の庭も多くの春の息吹が芽生え、また手入れが忙しくなりそうです。
いよいよ開票が始まりました。各種情報が錯綜し、まだ500票という情報から、もう3,000票行ったから当確という話まで飛び交い、待つ身の辛さを憶えながら、23時過ぎの2回目の速報でいきなり7,500という数字が出て、万歳となりました。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/sokuhou/kaihyou-f.html
初心忘れるべからず、勝って兜の緒を締めよ、多くの方からのご恩を忘れることなく、一生懸命頑張ります。



4月10日(土)
朝は竹ヶ端陸上競技場のグランドゴルフ大会に挨拶に伺い、その後自転車で市内を走りました。街宣車が昼休憩中にハンドマイクを使って駅前各所にて街頭演説を行いましたが、反応は今ひとつです。昼からは各所の公園を夫婦で回り、若い家族連れに挨拶をして回りましたが、これまた反応は今ひとつです。本当に明日の投票日、大丈夫でしょうか?不安一杯となります。
夕方から最後のお願いです。街宣車からマイクで訴えるより、最後まで自分らしく自転車上から訴えることとしました。街宣車と同じスピードで走り、しかも握手をして回るという、体育会系の選挙?は本邦初ではないでしょうか。20時に選挙事務所に帰り着いた時には、心身ともにクタクタで、完全燃焼していました。随行してくれた自転車部隊の皆さん、声を嗄らして訴えてくれたウグイス嬢の皆さん、ドライバーの皆さん、事務所を守ってくれた皆さん、多くの支援者の皆さん、本当にありがとうございました。
明日が楽しみです。



4月9日(金)
いよいよ多治米小学校体育館にて総決起集会です。
地元町内会の皆様が段取りからすべてを仕切っていただき、参加者も5〜600人と大盛況でした。この体育館で大勢を前に話をするのは25年前の児童会会長選挙以来で、懐かしさで一杯でした。応援弁士の先生方にも心温まるお話をいただき、ありがとうございました。



4月8日(木)
ロッツ隣りの個人宅で個人演説会を開催いたしました。個人宅にもかかわらず大勢にご参加いただき、座が抜けるのではないかと心配するほどでした。



4月7日(水)
自転車による連呼行為を選挙管理委員会より注意を受けました。街宣車による連呼がOKで、自転車で地声でする連呼がいけないのは納得がいきませんが、法律上はいたしかたないそうです。そのため、自転車と街宣車を一緒に走らせて、街宣車が「ただ今、大田ゆうすけが自転車で皆様にご挨拶に伺いました。」と話す中を自分が手を振りながら走り抜けるという方法を取りました。しかし、街宣車と同じスピード・方向を走るのはかなり大変です。ただし、若さと行動力をアピールするには有効なパフォーマンスだと思います。
夜は医師会館にて個人演説会を開催いたしました。



4月6日(火)
朝一番で天国を作る男「てんつくマン」が自転車隊に参加してくれました。その後、街宣車に乗って鞆・松永方面にご挨拶に伺いました。
それにしても福山は広いです。1週間で福山全域を回るには、松永の方には失礼ですが1回しか車を回すことができません。
夜はJA蔵王にて個人演説会を開催いたしました。なごやかな雰囲気の演説会となりました。



4月5日(月)
街宣車に乗って駅家方面にご挨拶に伺いました。
選挙戦に入って妙にお腹がすき、しっかり食べているつもりでも、体重はどんどん減ってゆきます。1ヶ月で4kg減りましたが、やつれたのではなく、締まったのです。(笑)
夜はニューキャッスルホテルにて個人演説会を開催いたしました。



4月4日(日)
朝から雨が降っております。
しかし、雨はどの陣営にも公平です。足元の悪い中、出陣式には大勢の方にお集まりいただき、本当にありがとうございました。
出陣式の開会にあたり、小学生のときに水泳で鍛えてもらった長田さんが、太鼓と三味線の演奏を披露してくれる中、水泳部の同級生の友滝君が私の特大の似顔絵を描いてくれました。続いて大勢の応援弁士の先生方にご登壇いただき、私の出番となりましたが、予定時間になっても街宣車が帰ってきません。話を延ばしてくれと指示が出たのですが、それも限界となり、「話を延ばせと言われても難しいですね」と正直に言うと、皆さん笑っていただけました。ポスター掲示板が38番となった関係で遅くなったようです。ではいよいよ小雨の降る中、自転車で出発です。出発に際して「エイ!」と自転車を頭上に差し上げ、若さをアピールのつもりが、かっこよく決まらなかったのが心残りです。でもこのシーンは中国新聞にも朝日新聞にも掲載されました。
夜はサンピアにて個人演説会を開催いたしました。



4月3日(土)
忙しい合間を縫って、川口幼稚園(桃組)以来、高校まで同級生の藤井一彦率いる「THE GROOVERS」のLiveに顔を覗かせました。一彦は相変わらず若い!彼の放つエネルギーを私も吸収して、明日にせまった出陣式に臨む決意を新たにしました。



4月1日(木)
いよいよ告示の日が迫ってまいりました。本番まであと10日です。
ロケットが発射台に据えられ、エンジンから白煙が噴出し、発射のカウントダウンが始まったような心境です。発射後、軌道に乗るまで、ホームページの更新も今回が最後となりそうです。多くの方にご覧いただきまして、本当にありがとうございました。
告示後の予定をご案内いたしますので、多数ご参加ください。

<出陣式のご案内>
 4月4日(日)9:00〜10:00
 場所:大田ゆうすけ選挙事務所(松浜町3-4-24)
<個人演説会のご案内>
 4月6日(火)19:30〜20:30
 場所:JA蔵王
<総決起集会のご案内>
 4月9日(金)19:30〜20:30
 場所:多治米小学校体育館

ゴールテープを切るまで全力で走り抜けますので、最後までご支援をよろしくお願い致します。